Comment lui dire

アラビアンコースト

『アラジン』の主役はアラジンなのか、ジーニーなのか?

前にも語った話だけど、私のベストアラジンが戻ってきた記念であらためて。



私はアラジンの主役はアラジン派です。



アラジンというひとりの青年がジーニーというかけがえのない友と出会い、本当の自分を獲得する物語。
そう思っている。

ただ、そう思うようになるまではかなりの時間を要したし、何度もリピートしてアラジンという作品のエンターテインメント要素以外の物語部分を楽しめるようになったことが大きい。


なので、みんなアラジン観よう?(ダイレクトマーケティング)


正直アラジンは一度観ただけだと、ジーニーの持つ圧倒的なエンタメ性に魅了されてあっというまに終わってしまう。ので、主役はジーニーだと考えるのもまた当然だと思う。
初見時のことはよく覚えているけれど、何も考えずに「楽し~!」って感想だった。
初日は当然外れたわけですが、先行でサーバーがダウンしたこともあって奇跡的に二日目の最前が取れたんだよね。超!贅沢!最高の経験をさせてもらった。
開演前アナウンスでジーニー(の中の人)が言うようにところかまわず笑ってしまうような初見殺しギャグが多い。何も考えずに楽しめた。

……ぶっちゃけるとアラジンのことはあまり覚えていない。
(っていうのも、私はオリキャス10枠の人ファンなので初見だとついつい10枠ばかりに目が行ってしまったという言い訳)

今となっては立派なオリキャスアラジン担に成長したので、土下座したい気持ちでいっぱいである。


なので、明確に区別すると『アラジン』のエンターテインメント部分を重視するのならばジーニーが主役、ストーリー部分を重視するのならばアラジンが主役…といった見方が一番しっくり来るのかもしれない。
でもジーニーが主役だとするとアラジンのポジション、立ち位置がよくわからなくなるんだよね。なんだろう?

いずれにせよ、私はアラジンが主役だと考えているわけだが、その場合重要となってくるのがアラジンの物語性である。
アラジンはディズニー作品の中でもストーリーが一際単純で、一見すると貧乏な青年が強大な力を持つ魔人のおかけで王子になりすまし、色々あって王女を手に入れるシンデレラストーリーである。なので、アラジンってただのラッキーボーイなんじゃない……?という疑問が生じるのだが、アラジンにはダイヤの原石という設定があり彼自身が持つ魅力にジャスミンやジーニーが惹かれて、彼らを救うお話でもあることを忘れてはならない。ただ、如何せんそのアラジンの魅力について俳優の演技に頼るところが多いように感じるのだ。その点について、以下で語ります。


◎アラジンという役の難しさについて

舞台版のアラジンは本当に難しい役だと思う。ジーニーのようにハイテンションなギャグでぶっちぎれるわけでもないし、なんせそのハイテンション魔人のジーニー相手に二人芝居が要求される時間が長いため、下手するとジーニーに食われてしまう。その時点でかなりの難役ではある。正直アラジンとジーニーの掛け合いってすごく難しいと思うし、息ピッタリじゃないとハマらない。
まあ、対ジーニーはもちろんのこととして、アラジンという個人を考えた時に難しいと思う理由は2つある。

まず第一に「ダイヤの原石」という秘められたポテンシャルを明確に発揮する場がストーリーの最後の最後にしかないことである。そのシーンに至る前のアラジンにジーニーやジャスミンが惹かれる説得力を持たせることについて、俳優の演技力に殆ど委ねられていると思う。
アラジンが「ダイヤの原石」である理由がストーリー上で全く語られないのが一番の問題だと思うんだけど、まあこれ以上脚本にケチをつけても仕方がないので。

ジーニーが自由になりたいと望んでいると知ったアラジンが「僕が叶えてあげる、自由にしてあげる」と約束するのも、それを信じられるだけの魅力がアラジンにないと「何言ってんだこいつ…」状態である。ましてやその直前に一度アラジンはジーニーを騙して洞窟から脱出しているため、「そうやっていつも調子いいことばかり言ってるんでしょ」って言われてしまうのは無理もない。それでもなお「僕を信じて」とまっすぐ口にしたアラジンの言葉にジーニーが胸を打たれてしまうようなアラジン自身が放つダイヤの原石としての魅力。台詞だけでそれを表現するのはとても難しいのではないだろうか。


第二に、『内面の開放』という意味でのアラジンの成長について、一見アラジン自身は何もしていないように見えること。
生きるために散々嘘をついてきたアラジンはそんな自分を変えようと思っていても、本当の自分をさらけ出すことが怖くてなかなかそれができなかった。だけど、自分に裏切られて深く傷ついたジーニーを目の当たりにしてようやく「嘘をつかずにありのままの自分を受け入れる」という選択をすることになる。嘘をつくことをやめたアラジンは「ジーニーがいなければ僕は確かに何も出来ない、でもそれはアンタも同じだ」とジャファーを陥れて彼を打ち破り、当初の約束通りジーニーを自由にすることを選んだ。
ありのままの自分を受け入れたことでアラジンは多くの人を救っているわけだが、目に見えた活躍ではないため一見「何もしていない」ように見えてしまう。
でも、考えさせられるんだよね。自分を変えたいという気持ちがあったとしても、変わることの難しさを。本当の弱い自分を受け入れてもらえないんじゃないかという恐怖を。それらは人間誰しもが持つ感情だと思う。人は多かれ少なかれ殻を作って生きている。だがそれを打ち破って、本当の自分を手に入れることができる人間はひと握りなのではないだろうか。
アラジンはそれができる人間だったこともまた、ダイヤの原石である所以なのだろう。

という前にもしたような話を長々としたけれど、アラジンは精神的な成長を前面に押し出したキャラクターであるため、やはり俳優の演技力が非常に重要になってくると思うし、演技の幅がものすごく広い。
ジーニーなしでは生きていけない自分とこれ以上嘘をつきたくない自分との間で揺れるアラジンの葛藤をしっかりと表現してくれることが、アラジンの最終的な成長に繋がるし、アラジンとジーニーの友情を描く上での肝になると思う。本当に難しいよ…難しいのに一見難しそうに見えないところが一番難しいのではないだろうか(日本語…)。



◎ジーニーもまた、アラジンと同様に成長しているが、それは主役としての成長ではない。



長いなタイトル。


ジーニーの成長とは「自分は永遠に自由になれなくてもいいから、幸せになって欲しい」と思う相手に出会えたこだと思うんだよね。
何よりも自由になることを望んでいたジーニーは、その約束をしたアラジンに裏切られて深く落胆したけれど、今までの主人とは違い自分を願いを叶えてくれるだけの道具ではなく対等な相手として扱ってくれたアラジンにはっきりと個人的感情を抱いてしまったのを自覚しているし、彼に芽生えた初めての感情だったのだと思う。だからこそ、裏切られてもなおアラジンの願いを叶えてやりたいと思ったのだろうし、その時点で既にジーニーはアラジンによって1万年の孤独から救い出されていたのだ。



ヒロインじゃん。



という冗談はさておき(?)
(ジャスミンが自立した大人の女性なので、属性的にジーニーの方がヒロインっぽいのは事実だけど)



まあつまり、ジーニーの成長はアラジンという人間ありきのものであって、アラジンが主役だからこそ成り立つのだと思っている。何よりも「誰がなんと言おうと君は僕にとっての王子様」という台詞がそれを物語っている。囚われの身だったジーニーを牢獄の中から救い出してくれた王子様はけっして完璧な人間ではないけれど、ジーニーにとっては自分の世界を変えてくれたかけがえのない存在なのだ。



ほら、なんとなくアラジンが主役に思えてきたでしょ?そうだと言って!
完璧じゃないけど、人を惹き付ける魅力があって、周りを巻き込んで成長していく青年。主人公になるために生まれてきたようなキャラクターじゃないです?
主役以外の何者でもないでしょ?


最後の最後まで葛藤して迷い続ける青年の等身大さに感情移入し始めると更にアラジンは楽しくなる。(そして中の人にハマり、沼へ…)



オタクからは以上です。
アラジンは、いいぞ。