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アラビアンコースト

『パリのアメリカ人』の見所はバレエだけじゃない 2019/7/21M @神奈川芸術劇場

シアターオーブの公演以来、初めてKAATで『パリのアメリカ人』を観劇してきました。


四季の演目はロングラン中心なので余程人気がある演目を除くと、段々と空席が目立つようになるのは仕方がないとは思うけども、それにしてもパリアメは空席が多くて少し寂しさを覚えます。
KAATは劇場としては大好きだけど、正直東横線ユーザー以外が通うには至極辺鄙な立地だと思うんだよね。でもKAAT大好き。久しぶりに行ったらワインが値上がりしていて絶望しました。それでも好きだぜKAAT。ワインの値上げはやめろ。
話が脱線しましたが、このパリのアメリカ人という作品はディズニー作品のように作品自体の知名度があるわけじゃないし、ロイドウェバー作品のようにミュージカルとして圧倒的に有名なわけでもない。ジーン・ケリーが主人公を演じた映画版の『巴里のアメリカ人』はもう60年以上も前の作品で、多くの人にとっては名前を聞いたことがあるかないか程度の存在であるという、マイナー故のとっつきにくさも集客に繋がらない理由の一つかもしれないと思います。
それでも私はこの作品を四季が上演したことには意義があると思いたいし、浅利さんが大切にしてきた『生きる喜び』を舞台を通じて我々観客に届けたいという理念が根底に息づく素晴らしい作品だと考えています。


まあ何が悪いかっていえばキャッチコピーですよね。


『今度の劇団四季は、キュンとくる』


センスが迷子。わかりやすいキャッチコピーを狙いたいのはわかるんだけど、この軽いノリの「キュンとくる」を念頭に置いて本編を観ると思っていたより時代背景や各キャラクターが置かれている境遇が重すぎて「なんか思ってたのと違うな…」という感想を抱いた人もいることだろう。類似コピーにノートルダムの鐘の『今度の劇団四季は、グッと来る』もあります。鐘についてはもうひとつのコピーとも言える『愛は宿命を変えられるか』はオタクの心にはビンビンに響きそうなアレですが逆にオタク以外の人には重くてとっつきづらそう。つまり結局なんでもいいや。どんなキャッチコピーだろうと観る人は観るし観ない人は観ないわ。終了。




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しかしKAATはいい劇場。
またこの秋劇場仕様のキャスボが似合う。
マンマが楽しみですね!




◎『パリのアメリカ人』が教えてくれた「自分らしく生きること」の大切さ

この演目は主役2人からしてバレエダンサーが演じるゴリゴリのダンス演目で、ラスト20分は主役2人のパ・ド・ドゥと四季のレベルの高いダンサー陣による群舞によるバレエシーンが続く。このシーンを長いと感じるかどうかはそれぞれだと思うんだけど、私は物語というものが台詞はなくてもバレエだけで語ることができるんだというバレエ表現の可能性を単純に感じて、それだけでこのミュージカルは観る価値があると思った。あえてバレエではなくミュージカルというジャンルでそれをやったことも。

まあバレエについては正直「すげー」とかいう小学二年生男児のような感想しか出てこないので、この作品の一見単純な物語について少しだけ考えてみました。
この『パリのアメリカ人』という物語は終戦を迎えて長いドイツ軍の支配からようやく解放されたパリを舞台にして、新しい時代を必死に生き抜こうとする若者たちの物語です。
戦争を経験したことがない私が容易に想像できるものではないけど、常に死の恐怖が付きまとう暗く哀しい時代を耐え忍んで、いざ新しい時代を築いて行こうとする人たちが抱く感情はもちろんプラスの感情だけではないのだろうと思います。長年抑圧されてきた感情の行き先を見失う人もいれば、足を踏み出す方法すら忘れてしまった人もいる。誰もが持ちうる最低限の人間らしさを失わせる、それが戦争なのかもしれない。
戦後の混乱した時代のパリはもちろん決して華やかな街ではなかった。それでも少しずつ前に進もうとする人たちの夢に彩られた美しい世界観がこの作品のメッセージ性を強く主張しているように思えます。


主人公ジェリーは戦争帰りのアメリカ人で、画家になりたいという夢を叶えるためにアメリカに帰らずに芸術の都パリに人生を捧げることを決心した。下宿先を探して出会ったアダムは同じくアメリカ人の元軍人で、ピアニストとして生計を立てながら作曲家になることを夢見ている。アダムの友人でもある資産家の息子アンリはフランス人だが、ショービズの世界に憧れて厳格な両親に隠れて歌って踊れるショーマンを目指している。
アーティストの素質を持つ3人は直ぐに意気投合して友情を育むのだが、3人にはお互いも知らない共通点があった。同じ女性リズを愛してしまったのだ。
ヒロインであるリズはどこか謎めいていて人目を引く存在なのだけど、その理由は物語が進むにつれて明らかになっていく。戦時中ずっと隠れて生きてきた彼女は抑圧された環境下で本来の自分を解放することに怯えており、ダンサーとしての才能を開花する機会を模索しているがなかなか思うようにはいかない。
偶然道端で出会った等身大のリズに一目ぼれしたジェリー。生き生きとバレエを踊るアーティストとしてのリズに惹かれたアダム。ユダヤ人であるが故に隠れなければ生きていけなかったリズを匿ううちに愛が芽生えていったアンリ。三者三様の愛がそこにはある。

私はアンリが大好きだけど、アンリとリズは運命の相手じゃなかったのは一目瞭然だと思う。何故ならアンリが愛していたのは本当のリズではないから。アンリと結婚したらリズは永遠に「逃れて隠れ続けてきた戦争の暗い記憶」を引きずったまま生きて行くことになったと思うし、アンリはそれに耐えられないと思うから。
そしてもう一人、アダムはリズに最後まで恋心を告げることはない。それはきっと彼が彼女の才能を愛していたからだと思う。告げる必要がない恋なんですよね。だから自分の芸術の中に彼女を置いておくことで彼の恋は成就したんだと考えている。



そう考えるとリズが自分らしくいられる場所を与えてくれたジェリーと結ばれるのは必然であり、運命でもあったんだね。



戦争に限らず、人間は誰しも多かれ少なかれ心に傷を負って生きていると思います。
その傷を隠して生きていくか、それとも乗り越えて生きていくか…どんな行動を取るのかはその人自身が選択するほかはないけれど、もし自分の可能性を示してくれる人に出会えたらそれは最高に幸せなことなのかもしれません。




◎アンリがいいやつすぎてつらい

普通に考えて、アンリがいいやつすぎる。
アンリをいいやつにしすぎてジェリーのポジティブさがKYに変換されがちなのは、この物語のちょっとした欠点かもしれないです。


なかなかリズとの結婚に踏み切れないアンリは両親にゲイではないかと疑われていて気に病んでいるので、ジェリーに冗談で「お嬢さんたち」と言われて酷く激昂するシーンがある。
オフステージトークのレポをどこかでちらっと読んだらアンリの中の人である小林さんが「アンリの設定はゲイでもいいしストレートでもいいと言われた」と仰っていたそう。要するにそういう直接的な表現は出てこないので演者の役作りに委ねられた設定だということらしい。
この作品が現代の物語で、たとえばNetflixかなんかでドラマ化されることになったらおそらくアンリはLGBTの設定で固定されてしまうかもしれないけど、私はそこは正直重要ではないと思っているので、アンリの性的志向が何であっても「リズを愛していると思おうとしていた」可能性はあるし、「本当にリズを愛していた」ようにも思えるし、その部分は永遠にわからなくてもかまいません。アンリが本当に優しい人であることは彼の行動から痛いほど伝わるので、そんな優しい彼がリズが本来の彼女らしさを失ったまま自分と結婚することを見過ごせるはずがないから。ただアンリもリズと同じで、正しいことをしても評価してもらえない時代の中で隠れて正しいことをしてきたけれどそれが彼の心の重荷となっている一面があって、両親と同じく世間体を気にして生きていくことに縛られてしまっていた。彼が自分の本心を誰かにぶちまけて、やりたいことを隠さずに生きてもいいんだと、そういう時代が訪れつつあるということだけでアンリの未来は希望に満ち溢れているんじゃないだろうか。





◎アダムがいなければすべては始まらなかった

ジェリーの奔放さと自分の心に従う生き方は周りの人たちに大きな影響を与えて成長させる存在となった。
でもこの物語で一番運命を大きく動かした存在はアダムだと思う。アダムは登場人物の一人であると同時にストーリーテラーとしての役割も担う珍しい存在。

アダムがジェリーとアンリを引き合わせた。
アダムがジェリーをバレエのオーディションに連れて行ったからジェリーとリズは再会した。
アダムがオーデに遅刻したリズにそのまま踊るように説得して彼女が見出されるきっかけを作った。
アダムがずっと隠していたアンリの本心を引き出して、彼を相棒だと言ってくれた。
アダムが『パリのアメリカ人』という曲を作った。


リズはジェリーと一緒に過ごす時だけ自分らしくいられたし、マイロはジェリーに「お金では買えない愛」を教えてもらったし、ジェリーのがむしゃら過ぎる気持ちにアンリは初めて強く感情を剥き出しにした。
だけどその動機を作ってくれたのは全てアダムで、アダムがいなければこの物語は始まることすらなかったのだ。
リズは自分の才能が見出されるきっかけを作ってくれたアダムを『あなたは私のパリのアメリカ人』と評したけど、それだけじゃない。この物語に出てくる全ての人にとって、アダムは『パリのアメリカ人』の象徴なのだと思う。アダムが語り部である理由はそこにあって、ジェリーを主人公にした物語を彼は語ったけれど、その物語を形作ったのは語り部であるアダムに他ならないということなんだよね。
アンリの夢でもあるラジオシティーの妄想の世界でアダムが一緒にタップに参加するのも、アンリにとってアダムは自分をこの場所に導いてくれた存在だからかなと思う。アダムの芸術の中にはリズがいるけれど、アンリの芸術の中にいたのはアダムなんだな。



◎マイロに幸せになってもらい隊

芸術を愛する彼女はパリで自分の身の置き場所を探していて、新米画家であるジェリーを支援するうちに段々惹かれていく。
お金で何でも手に入れることができると思っているけれど一番ほしいものは愛情であることに気付いていないお嬢様というわりとありがちながらオタク心をくすぐるキャラクターでありながら、オタクなのでめちゃめちゃくすぐられたわけである。唯一戦争とは無縁である彼女は現代の人間らしい感情を共有できるキャラであるのかも。

マイロについては、中の人である愛ちゃんのインタビューが全てであって読んでいるだけで泣けてきます(脆い)

www.musicaltheaterjapan.com



私はカプ厨なので、軽率に男女の間にエモい感情が芽生えるとくっついてもいいんじゃない?とか言い始めるのだけど、アンリとマイロのカップリングはありよりのありである。ていうか魔法にかけられてエドワードとナンシーに似てません????(10年くらい前までの)ディズニー映画ならくっついてたぞ☆今のディズニーじゃ無理だな



◎その他
酒井ジェリーは開幕から比べてすごく演技が良くなったと思う。
ジェリーは前述したけれど他のキャラクターに比べて非常識に見えてしまいがちなこともあって、「どうして彼はひたすらポジティブに生きているのか」という理由が戦争によって彼が経験した悲惨な記憶とリンクしているのだと理解できるような演技をするのって相当大変なんじゃないかなと思うし、その部分はやっぱり松島さんがダントツに上手だしジェリーの行動原理が手に取るように伝わるよね。でも新しい時代を希望と共に突き進んでいこうという強い意志を酒井ジェリーのダンスからも演技からも感じるようになって、ジェリーは希望の象徴でもあるんだなと今回思いました。
唯アンリは「お坊ちゃんぽさ」と「人の良さ」がぐんと突き抜けてて好きです。前から思っていたけど唯くんは育ちがよさそうな演技がとても上手だと思う。スキンブルをやってください。