Comment lui dire

アラビアンコースト

99回生きたリーダー猫。キャッツ 2019/4/25S

たぶん…
つまり翌日(4月26日)が100回目ですね。
だからどうということはないけれど、オタクというのは無意味に数字にこだわる生き物なんだ。


新演出の猫を受け入れたと言いつつも、観るたびに違和感があるなあという感情が出ては消え最終的には「やっぱりキャッツが好き」という結論が出て一件落着する。舞台においては、二度とこの俳優が演じるこの役が観られなくなる日が来るのと同様に、大好きだった演出が変わって二度と観られなくなってしまうなんてことも日常茶飯事なのだと痛感している。できれば音源や映像に残ってほしいと思っても現実はそう簡単には上手く行かないし、だからこそ1回1回の舞台を大切に観たいと常日頃から思っています。


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大好きな猫が多くて、目が足りないと嬉しい悲鳴をあげていました。
北村マンカスはもちろん、岩崎タンブルもいて村田スキンブルもいてゆきちゃんランペもいてまちまりジェミマちゃんも!
とはいえ、比率としては90%くらい北村マンカスを観ています。偏りすぎじゃね?推しを100%の力で見る能力と全体を見る能力を同時併用する薬がほしくなるよね。(副作用凄そう)

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レ・ミゼラブル 2019/4/21M @帝国劇場

万年レミゼ初心者の私、いつになったらレミゼ初心者を脱却できるのか???と思いながらレミゼを見続けて早8年。未だにレミゼ初心者なんだなこれが。
今季はのんびりしていたらチケット2枚しか取れなかったのであと1回しか行けません。チケット弱者の千秋楽は早い。



レミゼにあまり私がハマれない理由を一つ挙げるとすれば、
「見るたびにボロボロに泣いてしまい俳優の演技や歌や物語を楽しむ余裕がない」


マジでこれなんだ。
本当は嗚咽をあげて泣きたいくらい泣けるんだけど、周りに迷惑なので静かにダラダラ涙流してます。親が子を命と引き換えに守るというシチュエーションに弱くない人はあまりいないと思いますが、親子愛に限らずとも自分の命を賭けられるくらい大切な存在があるということは幸せなことなんだと噛みしめます。陳腐で単純な言葉だけれど、愛の力って偉大だよね。


何度見ても思うのだけど、この物語哀しすぎません??
ジャベールに至っては何十年も追い続けてきた悪人だと思っていた男に赦されて、今まで正義の名のもとに人を追い詰めてきた自分が赦されたことに耐え切れずに自殺するってどれだけ哀しいんだろうか。

生きてさえいればやり直せるチャンスはあるんだって金田一も言ってたじゃん…(突然の金田一)
まあ死ぬことより生きることの方が辛いこともある…って言っちゃった犯人もいたけどさ…


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◎人を赦すということと、赦しを受け入れること

今まで観るたびにボロボロに泣いて物語について真剣に考える余裕がなかったんだけど、
この物語が伝えたいことって、やっぱりキリスト教精神に基づいた『罪の赦し』と『他者への慈愛』なんでしょうか。

バルジャンはたった一度のパンを盗んだ罪によって投獄されて20年間も辛い思いをした。
たった一度犯した罪のために、人生をやり直すチャンスが失われてしまうのは今の時代も同じで、罪を犯してしまった人に対して世間はあまりにも冷たい。人を赦すということは至極難しく、罪を犯した人を自分たちの不満のはけ口にすることはあまりにも容易い。
マリウスは最後にバルジャンを聖者だと称賛するけれど、彼は司教様に赦されたことで神からも赦されて聖者になり得たのだろうか。

バルジャンもジャベールも他者から罪の赦しを得たけれど、その赦しを受け入れることができたかどうかがこの二人の違いなんだよね。
ジャベールは人を赦すことができなかったから、人から赦された自分を受け入れることができなかった。
レミゼラブルという物語に触れると『罪を憎んで人を憎まず』という言葉がとても重く感じる。ジャベールも若い時に司教様のような人に出会えていたら何かが変わったのかもしれません。

司教様の慈愛の心はバルジャンに受け継がれ、バルジャンはファンテーヌの愛によってコゼットを託されて、バルジャンの愛を受けて育ったコゼットはマリウスを愛して、エポニーヌの慈愛の心に救われたマリウスと一緒に次代に愛を繋いでいく。亡くなっていったたくさんの人たちの想いも一緒に。



◎相葉アンジョに惚れた

惚れた。

聞くところによると前回のばっちアンジョは革命なんて成功しなそうな雰囲気だったらしい。
前回公演でどのアンジョを見たのか全く記憶にない(最低)のだが、とにかく今回ばっちアンジョがめちゃめちゃ良かったんだよね!
男が付いていきたいと思わせるような人を惹きつけるカリスマ性があって、革命への強い意志と成し遂げようとする力も確かにあるのに、ちょっとしたきっかけで綻びが生じてしまいそうな儚さもあって、完璧すぎないところが皆を惹きつけるのだろうなと思った。



◎めぐファンテ、っょぃ


っょぃ


2幕後半以降のエルファバみがあった。
コゼットへの愛や母性は充分すぎるほど感じられるし泣けるのだけど、工場長に目を付けられそうにないし、仮につけられたとしても他の女たちから虐められなさそう。
前回ラブネバクリスで観たときは音域あまり合ってなくてもったいないなあと感じたのだけど、ファンテーヌは歌を聴かせるだけなら最高でした。


◎ふうかエポ、かわいい

ふうかちゃんが報われるミュージカルが見たいな?(アリス???)

ふうかエポはマリウスへの一途で一生懸命な恋に苦しむ等身大の少女かと思いきや、意外に自分の立場を理解して彼を支え続けることを誓う大人びた雰囲気さえ漂うエポニーヌでした。

ていうかかわいい。

マリウスの腕の中で死んでいくときの今まで彼女が味わってきた哀しみも彼を想い続けることの辛さも全て掻き消えてしまうかのような喜びさえ感じているかのような笑顔に泣けてしまった。本当に純粋なエポニーヌで、マリウスを救って彼に抱きしめてもらえることがただただ幸せだったのだと思う。
だからこそその後のマリウスの「暗い人生 でも勇気があった」がめちゃめちゃムカつく。笑。
マリウスって本当に空気読めねーよな!!!





ここから余談

ところでマリコゼってぶつかっただけで一目惚れして、その後何のエピソードもなく愛を語らい始めちゃうのがどうも私には受け入れられず、もちろんロミジュリやWSSも同じなのだけれど、運命と呼ぶにしてももう少し上手く表現はできないものなの?と毎回思ってしまう。
一目惚れはするものの、その後にデート→兵士に追いかけられて一緒に逃げる→お互いに共感する→住む世界の違いを知る→一旦別れる→相手が死んだと思う→再会→誤解されて怒らせる→仲直り→デート
というわりと濃密なエピソードを踏まえて初めて結ばれる推しカップリングのせいでミュージカル界の運命的出会いを果たす全カップルが浮付いた存在に見えるようになってしまった。推しCPの罪は重い。

『カモメに飛ぶことを教えた猫』は自分の生き方を見つめ直させてくれるお話でした。 2019/4/20M @相模女子大学グリーンホール

私は大人になった今でもいわゆる「子供向けに作られた」作品が大好きです。
子供が見て楽しいものは大人が見ても楽しいと思うし、子供の頃には理解できなかった『物語の奥行き』というものを感じられるようになりました。人間は辛いことや楽しいこと、良いことや悪いこと、様々な経験を経て大人になっていきます。だから同じ物語から受け取れる感情も歳を重ねるに連れて何倍にも大きく、そして豊かになっていくと思う。


ファミリーミュージカルというジャンルは確かに子供向けではあるけれども、単純な物語の中に現代で生きていく人間が抱える悩みや苦しみ、そして生きることへの希望や喜びといった大人だからこそ受け取れるメッセージもたくさんあります。



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アンデルセン』全国公演以来のグリーンホールでした。
てか関東公演少なくね???

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舞台版『美女と野獣』が好きなオタクが実写版『美女と野獣』について考える。

ここしばらく国内外問わずに巻き起こる実写化ブーム、ありとあらゆる題材を映画のテーマとして取り扱ってきた結果映画産業も行き詰まりなんだろうなとしみじみすること数年、御多分に漏れずディズニーも最近実写ばかりだなと思います。
でもさ、正直な話無理に原作に忠実であろうとするから綻びが生じるわけやん?だからいっそ『マレフィセント』並のオリジナル展開にしたら原作厨も「まあこれはこれで」と寛大な気持ちになれるんじゃないだろうか。
たとえばの話ですけど、アラジンも最後にアラジンとジーニーが二人で世界一周の旅に出るとか。ていうかジャスミンも一緒に旅に出たらいいし。三人で見聞を広めて帰ってきてからジーニーをアラジンの相談相手兼宮廷アドバイザー(?)にするとか。
とまあブロマンスを撮らせたら右に出る者はいない男(ガイ・リッチー)が監督した実写版アラジンに思いを馳せつつ、この度2017年に公開された実写版『美女と野獣』を改めて見返してみました。



実写版BBの公開はもう2年も前でした。
movies.yahoo.co.jp


ちなみにこちらが舞台版。
www.shiki.jp


現在、公演の予定はありません。
という一文が虚しい。




私はこの『美女と野獣』のミュージカルが大好きだし、アニメも何度も観てるんだけれど、この物語はストックホルム症候群であるという批判があることを最近初めて知りました。


ストックホルム症候群とは
誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、加害者である犯人に対して好意的な感情を抱くこと。


うーーーん、そうなのか?
ベルは一度は野獣に捕えられるけれど、西の塔に入って野獣に怒鳴られて自分から逃げ出すまではずっと野獣を恐れずに反発している。そして、野獣の支配下から逃れた城の外で狼たちに襲われ、野獣に助けてもらう。そこから逃げ出すこともできたけど、自分を助けるために傷を負った彼を放っておくことができずに一緒に城に戻った。
私はベルと野獣の関係はあの時点で一度ニュートラルになったと思います。命をかえりみずに自分を助けてくれた野獣にベルは感謝したことで少しずつ彼の内面を知りたいと思うようになったんだもんね。

とか言ってたらエマ・ワトソンもなんか似たようなこと言ってたわ。



www-elle-com.cdn.ampproject.org




話が逸れたんですけど、実写版は好きになれない部分とすごく良かったと思う部分が入り混じってて複雑な気持ちを毎回抱いてしまう。大好きな舞台版(及びアニメ版)との比較もしつつ実写版の気になった部分について。

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2019年の北村アラジンについて、ひたすら語る(前編)

下書き供養。熱く書きすぎていたらいつの間にか抜けたし、ここ半年は私の2トップアラジンが交互登板しているので気が休まりません。


突然ですが『アラジン』という演目は人間ドラマとして素晴らしい出来だと思います。だけどどちらかというと良質なコメディ部分や派手な衣装、豪華な舞台装置といった一見目を引く部分の魅力が大きすぎて、脚本の良さが薄れてしまっているのがこの作品の一番の欠点なのかもしれない。
自分の人生が自分の意思ではない方向に束縛されていると窮屈に感じたり、自堕落な生き方をしてきたけれどこれからの自分を変えたいと思っている人はたくさんいると思う。この物語はアラジンとジーニーとジャスミンが自分の生き方を変えて、それぞれの自由を手に入れるお話だということに気付いてから私はこの作品に深くハマっていったような気がします。


アラジンという作品への私のアツすぎる想いを語ったところで、2019年の推しアラジンについてこれでもかというほど語る会(参加者:1名)を開催しちゃうよ。
前回開催された会「2018年の北村アラジンについて、ひたすら語る(前編)」
koutei-c.hatenablog.com


後編は果たしてあるのか???


ところで北村さんは登板中にいつも更に髪がクルクルになるんだけど途中でパーマ掛け直してるの?笑

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宝塚に対して思うこと。

突然ですけど私、宝塚が苦手です。


宝塚を好きな人に喧嘩を売っているわけではなく、私の個人的な感覚で受け入れられないだけで決してdisではありません。


宝塚の「男」と「女」を対の存在として強調する世界観がどうしても好きになれない。



あ、苦手だなって気付いたのは宝塚版ロミジュリを観たときだった。
ヅカ版ロミジュリ、正直なところ衣装や演出は東宝版よりもオリジナルに忠実でいいんですよ。もう無理に舞台を現代にするなと。既読スルーとか寒いんだと。ティボルトをホストにするんじゃねえと。あと私、紅ゆずるさんのベンヴォーリオめっちゃ好きだった!



褒めてるじゃねえか!



いや普通に面白いんだよ。音月ロミオと美海ジュリエット最高だったよ。



何がダメかというとオリジナル版にはない『愛』の存在だった。
私はどうしてもあれが受け入れられなかった。
概念的な存在である『死』がロミオとジュリエットに待受ける未来を予感させる存在としてヴェローナの街に憑りつくロミオ&ジュリエットの物語が私は好きだった。
宝塚版には『死』だけでなく『愛』のダンサーが出てくる。ロミジュリは愛の物語でもある。確かにそうだ。でもね、『愛』は『死』と違って人の感情の中にあるものなのだから、登場するキャラクターが台詞や歌の中で演技として表現できるしそれ以上のことをする必要はないと思うんだよね。ロミオとジュリエットが愛し合ってるのなんて見てればわかるやん!!!
なのですごく違和感があったんだけど、日本版のロミジュリにおける『死』が男性的な象徴だから女性的な対の存在として『愛』を登場させたのかなあって思ったんですよね。


思えば宝塚って男役トップと娘役トップが必ず存在する以上はどの作品でも男と女が対する存在として出てくる。
なのでスリルミーみたいに舞台上に男役しか存在しなかったり、ウィキッドみたいに女性同士の友情を描いた舞台なんて絶対に上演はされないわけで。
それが悪いというわけではなく、男女の差をはっきりさせた関係が好意的に描かれる世界が今の世においても求められているんだろうなと思う。
ディズニーでさえジェンダーフリーを謳う時代にこういうことができるのってすごく貴重だと思うし、女性がハマる理由はなんとなくわかる気がする。



ただやっぱりロミジュリに『愛』はいらないと思うし、ロミオとジュリエットが天国らしき場所で踊る演出も私には物語の余韻を台無しにさせる要素でしかなかったし、何よりナルホドくんにポッと出の昔の女がいるのが許せませんでした!!!!(突然の逆転裁判
結論として、宝塚は物語自体の面白さより煌びやかで華やかなエンターテイメントとより男性性を強調した男役のかっこよさを楽しみに行く場所なのかなあと思いました。


一度生で舞台見たら変わるのだろうか。
(るろ剣でヅカデビューするはずだったのにインフルで行けなくなったタイミングの悪いおたく)

確かにラウルの愛は死ななかったけど『ラブ・ネバー・ダイ』2019/1/24S @日生劇場


※ このエントリはファントム先生の渾身の力作こと「ラブネバーダイ」をディスりまくっていますのでご注意ください。



再演は平原クリスも観るし小野田ラウル楽しみだ~~~~~!
とか意気込んで両クリスラウルで2回チケット取ったはいいものの


1回観たらあまりに脚本がアレすぎて2回目手放した。



何せ初演がもう4年も前なのでここまで二次創作臭が酷い作品だったということを忘れていたんですよね。DVD持ってっけど。
なので、最初にめぐクリス万里生ラウルで観たので初演と同じメンバーでしか観てないっていう…(あほでは?)
石丸ファントムを観られたのは嬉しかったけど、ファントムのキャラ設定に問題がありすぎて、ぶっちゃけ誰が演じてもファントムに全く魅力を感じない気がする。

歌は上手いけど!!!!!
(本当に切実な話するけど、幹ちゃんはLNDファントムやるくらいなら本家オペラ座客演してよ???)


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ラブネバ日生でやるならデスミュもやってくれよ、、

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