Comment lui dire

アラビアンコースト

ノートルダムの鐘 1/12S 野中フロローと海宝カジモドは最高だという話。

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ノートルダム強化月間、一応終わりました。というか終わらせました。

 

 

 この回の海宝カジモドがすっっっっごく良かった。良かったなんて言葉じゃ言い表せなくらい良かった。「よかった」「しんどい」「神…」「やばみ」「かわいい」とかいう語彙を失ったオタクのような感想になることをあらかじめ記しておく。


海宝カジモドが好きすぎて、たぶん今海宝アラジン見たら確実に色々な意味で死ぬ。キラキラ輝く笑顔でアグラバー1の色男とか演じられたらカジモドと違い過ぎて死ぬ。

 

話が逸れたが、海宝カジモド×野中フロローの組み合わせ、最高of最高。

貧困ボキャブラリーの最たる言葉が最初から飛び出してしまったが、それくらい最高だった。野中フロローはひたすら自分の神だけを信じて狂気に走る人なんだけど、海宝カジモドも最後までカジモドのまま、怪物のままであろうとした人で、ある意味二人とも絶対己を曲げないままで死んでいくので、この(育ての)親にしてこの子ありなのかも…みたいな気にさせられる。後述するけど海宝カジモドはすごく頭がいい子なので、フロローを反面教師にしつつ良いところは吸収してそうな感があるのがすごい。

 

◎『純粋ゆえの狂気』野中フロローについて

正しいと思いこむことの危険性について。

 

野中フロローが好きすぎてこの時代のパリ市民だったらたぶん毎日邪な理由でノートルダム大聖堂に通ってたし、熱い鉄の鉛から大助祭を庇って死ぬ役を全うしたいと思います。

 

私バリ推しの野中フロローはストイックで厳格、自分が信じる神のために全てを捧げる覚悟を持つ人だと思うし最後までその覚悟はブレなかったと思う。

一見淡々としているように見えるが、だからこそエスメラルダの出現によって絶対的であった信仰に揺らぎが生じ、その揺らぎが段々と大きくなり、爆発する姿が見ていて酷く痛々しかった。芝フロローの場合元々の粘着気質な性格が滲み出ていたのだが、野中フロローはエスメラルダさえ現れなければカジモドと二人、歪んではいても本人にとっての聖域の中で幸せに暮らし続けることができたのではないでしょうか。

そんなわけで、野中フロローの自らが正しいと思い込んだ信仰を全うするためにひたすら突き進む姿は、純粋で一途すぎる思考は簡単に人を狂気に走らせてしまうし、純粋であるがゆえにその思考を変えることなど最初から不可能だったのではないかと思わせてしまうような絶望感がある。辛い。

 


◎『受け入れる者』海宝カジモド
自分の生い立ち、障害、外貌についてある種達観しているような一面がある海宝カジモドだが、某インタビューを読んだら中の人こと海宝氏はカジモドのフロローに対する感情についてこのように述べられていた。


「フロローのフラストレーションのはけ口になっていることも受け入れたうえで、人生の師として、その生き方を崇拝しているところもあると思います」

 

フラストレーションのはけ口になっていることも受け入れたうえで

 

!?

 

フロローはカジモドに「ご主人様」と呼ばせていたわけだし、支配欲があったことは明らかである。
お前は醜いから外に出てはいけないと教え信じ込ませ、いわば自分だけの価値観により彼を押さえつけて守ってきたわけだ(本人はそのつもりだった)。
もちろんカジモドはあの閉鎖的な環境の中にしては純粋で優しい子に育っているし、フロローはひたすら厳しく支配していただけではなく、冒頭の苺を与えるやりとりのように時には優しく諭したりもしていたのだろう。フロローが言うように息子のように思うときもあったのだろう。
しかしカジモドはフロローが自分をどのように扱っているかを心得ている。「フラストレーションのはけ口」が具体的にどのような事実をさすかは明らかではないけど、自分という醜く弱い存在を導いてやることがフロローにとっては何よりも神に対する彼の信仰を示す行いであるとカジモドはわかっていたのではないかと思う。全てを理解したうえで、それでも自分はフロローがいないと生きてはいけない弱い生き物だし、彼を色々な知識を教えてくれる大事な存在として認識しているのだと考えたら、カジモドの敏さは計り知れない。

 

海宝カジモドって最初のうちは本当にフロローに庇護してもらわないと生きていけないと思える弱くてか細くて儚い存在なのだけど、それは自分でもその事実を受け入れているからこその表現であって、子供のように見えてすごく大人で自己形成がなされているよね。
なんだろう、すごくファンタジー的なカジモドだなと思う。あの環境で閉じ込められて育ってあそこまで己を受け入れられるのだろうか。卑屈な部分もあるとは言っても、決して自棄にはならなかったし精神力も強い。

だからこそ海宝カジモドには幸せになってほしかった…(最終的にいつもこの結論になるので、海宝カジモドは辛い)

 


◎何事も否定から入るのってよくないよねって話
カジモドは醜いと言われ続けたことで自分に対して憎悪を抱いているという設定らしい。

ほんとそれな!

 

現実においても子供を「否定して」育てる親はいる。決して否定するだけではなくても、そのあとに肯定の言葉を並べようとも、純粋な子供にとって親の言葉は絶対であり、肯定の言葉より遥かに子供の心に深く刺さってしまうと思う。同じ劇団四季の演目である『コーラスライン』において登場人物の一人、ビビが「美人じゃないけれど個性があるから大丈夫」と母に言われた言葉が彼女が大人になっても彼女の心の中にトラウマとなって残り続けたように。
カジモドも同様で、フロローがいくら残酷な世間から彼を守るために彼に自分の醜さを自覚させようとしたとしても、「醜い」「気持ち悪い」と言われ続けたカジモドの心には自分に対する憎悪が積もり、その価値観を変えてくれる存在を探していたのだと思う。だからこそありのままの自分を受け入れてくれるエスメラルダはまさに彼の運命を変えてしまった女神であり天使であり…。
トップオブザワールドを観ていると特にそう思うよ。フロローは否定から入るけれどエスメラルダは正反対で彼を否定することは一度もなかった。出会ったときも彼を否定しなかった。気持ち悪いなんて思わなかった。個性だと言ってくれた。ガーゴイルたちを肯定して好きと言ってくれた。永遠に孤独に過ごすと思っていた世界の頂上から二人で見下ろす景色はカジモドが生まれてから毎日眺めていたどの景色より素晴らしいものだったんだろうね。あの場面が永遠に続けばいいのに、なんて考えながら観ると涙が止まらない。

 

◎続・清水フィーバス
清水フィーバスがこんなに熱苦し…熱いのは何故だろうと思っていたけれど

 

顔がうるさいからだ。納得(失礼)。

 

あ、でもだんだんチャラ度アップしてると思う。
戦ったりして髪が乱れると必ずおでこに前髪が張り付くので笑ってしまうけど。

フィーバスがエスメラルダに恋をしたのはいつだろうと思っていたのだけど、やっぱりゴッドヘルプのときかなあと。
途中までものすごい笑顔でエスメラルダのこと見てますよね。これは微笑ましいシーンだ!という錯覚に陥る。
ゴッドヘルプで彼女は自分のことはいいからもっと弱い者を救ってくださいと神にお祈りするのだけれど、そのあたりから清水フィーバスは表情が変わる。
自分よりも他者のために何かを望むという精神ってまさにキリスト教の教えに合致するわけで、フィーバスの中にかつてはあったけれど戦場で過ごしていくうちに失っていたキリスト教の教えに基づく弱い人を救うという信念を彼女が思い出させてくれたんだろうなと私は解釈している。

 

これで一応鐘強化月間は終わりとかのたまいながらその後1回観に行ったんだけど今度こそ終わりです。月1くらいにしときます。